パリの6区 サン=ジェルマン=デ=プレ教会 (Église Saint-Germain-des-Prés)

現在の6区界隈は、幾世紀にも渡り、6世紀設立のサン=ジェルマン=デ=プレ修道院の強い影響下にあった。その結果、多くの宗教団がこの地区に居を構えていた。

1612年、王妃マリー・ド・メディシスはこの地の建物を買い上げ、建築家サロモン・ド・ブロス (Salomon de Brosse) に依頼して豪華なリュクサンブール宮殿に改装させた。宮殿は広大な王室庭園に囲まれた形となっていた。この宮殿および庭園の完成の影響で、この地区はにわかにフランス上流階級の集まる上品な地区へと変貌していった。

1950年代からは区内外に高等教育機関が集中し、また著名なカフェ(カフェ・ド・フロール、ドゥ・マゴ、ラ・パレット (La Palette) など)、および出版社(ガリマール出版社、ジュリアール出版社 (Éditions Julliard)、グラッセ出版社 (Éditions Grasset) 、エロール出版社 (Éditions Eyrolles) など)が区内外に集中して、パリの中でも戦後の知的・文学的ムーブメントの歴史的中心地となった。シュールレアリスム、実存主義、および現代的なフェミニズムなどはこの地において産まれた、あるいは育まれたと言うことができよう。

パリの6区は、市のほぼ中央にある行政区。「リュクサンブール区 (Arrondissement du Luxembourg)」と呼ばれることもある。セーヌ川の南岸に面しており、ルーヴル美術館の対岸にあたる区域である。

区の名称は、市の中央部から時計回りに螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその6番目にあたることから、「6区」と名づけられた。

5区から6区にかけての地域はカルチエ・ラタンと呼ばれ、大学など多くの高等教育機関が立地し、古くから学生街として知られている。6区には、国立高等美術学校(ボザール)、パリ第2大学(パンテオン・アサス)などがある。ほかに主要な施設としては、リュクサンブール宮殿 (元老院 (フランス上院))、サン=シュルピス教会、フランス学士院などがある。

なお、セーヌ川に沿った地域は、「パリのセーヌ河岸」として世界遺産に登録されている。

6区は街並みの景観の良さや注目すべき建築物の存在、そして伝統的に知的文化の中心地であり、なおかつパリの中心部に位置していることから、長きに渡ってフランスの知識人が多く住まう区であった。加えて今日では画廊やファッション・ブティックが多く立地しており、パリの中でも最も地価の高い地区のひとつであり、住民の収入額がパリで最も高い区のひとつでもある。5区、7区などとともに「セーヌ左岸」に属する。

6区は、パリのほぼ中央部、1区の南に位置しており、セーヌ川の南岸に面している。面積は2.15 平方キロメートルで、20区のうちで5番目に面積が小さい。

北は、セーヌ川を挟んで、同じパリの行政区である1区に接している。南は、”芸術の街” モンパルナス地区のある14区及び15区に接している。西は7区に接し、東は5区に接している。

“カルチエ・ラタン” は5区と6区にまたがり形成され、モンパルナス地区にも近いほか、サン=ジェルマン=デ=プレ地区にはサン=ジェルマン=デ=プレ教会や、ノートルダム大聖堂に次ぎパリで2番目の規模を持つサン=シュルピス教会が位置している。

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