朱印船貿易が盛んだった17世紀頃には日本人町があり、300人以上(1,000人以上とも)の日本人が住んでいたと言われているが、1633年の第一次鎖国令(5年以上海外に住んだ日本人の帰国禁止)、1635年の第三次鎖国令(東南アジアからの帰国禁止)により、徐々に日本人は帰国した。
その後ホイアンでは大火があり、現在の街並みはすべて19世紀以降のものになっているため、日本人街の遺構は残っていない。日本人が造ったとされる来遠橋(通称「日本橋」)も、建築様式が日本のものと異なることから、後年架け直されたものと思われるが、1993年(平成5年)から継続的に行なわれている昭和女子大学らの発掘調査により、橋のすぐ横から木杭や板材が見つかり、それが本来の日本橋の遺構ではないかと見られている。
発掘調査では、他にも古伊万里焼の破片や日本独特の仏具である仏飯器なども出土した。ホイアン郊外には1647年に没した谷弥次郎兵衛の名が刻まれた日本人墓地(昭和5年(1930年)に日本人によって修復されたもの)もある。
また、ホイアン郷土料理の汁なし麺であるカオラウ(Cao lầu)は、日本の伊勢うどんが変化したものではないかとする説もあるが、スープでなくタレをからめて食べる点の類似や、カオラウの漢字「高樓」が2階建て家屋があったとされる日本人街の通称「高樓」に由来するのではないかという推測からであり、証拠はない。
近年においては、1990年以降の昭和女子大学や文化庁、JICAの専門家が携わる伝統的建造物の保存修理・技術協力や、建築史・歴史・生活調査・研究があげられる。これらには、ベトナム人研究グループや修理支援グループが参加、地域の技術能力向上にも貢献している。2003年以降は、地元在住の日本人が政府機関や地域コミュニティー関係者と開催する「ホイアン日本祭り」も行われている。
2009年には、昭和女子大学が修復・展示に協力(文化庁が指導)した貿易陶磁博物館を、皇太子徳仁(当時)が訪問。2017年には、ダナン市で開催されたAPEC首脳会議に出席した当時の安倍晋三、グエン・スアン・フック両首相が、旧市街の伝統的建築を見学。御朱印船の寄贈式や「長崎くんち」の公演を視聴した。
2018年には、日本政府の無償資金協力のもと、「日本橋」周辺水路の水質改善のための下水処理場が完成。また、日越外交関係樹立45周年記念事業として、日本フィルハーモニー交響楽団の四重奏が、日本橋前広場で公演。市内のエコ・カフェでは、地域の子どもを対象としたワークショップと演奏を行った。