真宗大谷派名古屋別院 さくら2023

真宗大谷派名古屋別院(しんしゅうおおたにはなごやべついん)は、愛知県名古屋市中区にある真宗大谷派の寺院である。同派の別院。真宗本廟(東本願寺)を本山と仰ぐ。開基は、東本願寺第十六代法主 一如[1]。通称は、「東別院」、「東御坊」、「名古屋東別院」、「東本願寺名古屋別院」。
浄土真宗本願寺派の「西別院」に対して、「東別院」と通称される。

元禄3年(1690年)、尾張藩第2代藩主・徳川光友より織田信秀の居城・古渡城の跡地約1万坪の寄進を受けて建立された。尾張国の6つの寺が、この地に布教の拠点を置くことを本山に願い出たが、当初は他の寺から猛反対を受けた。

文化2年(1805年)、五代惣兵衛が本堂を再建した。惣兵衛はこのためだけに真宗へ改宗し、さらに本山である東本願寺に多額の寄進をしたことにより、使用する材木の調達を一手に請負うことに成功。

文政6年(1823年)、新たな本堂が竣工した。この年、本山の御影堂と阿弥陀堂が焼失。緊急の措置として、別院(当時の呼称は「名古屋御坊」)の古御堂が東本願寺の本堂とされた。
明治期には、愛知県庁や愛知県議会の機能が同地に設置された。

明治7年(1874年)5月1日から6月10日にかけて開催された、「名古屋博覧会」の会場としても使用された。同博覧会では名古屋城天守の金鯱や地元の名産が展示され、好評につき、当初5月31日までの予定であった会期は10日延長された。

昭和20年(1945年)3月12日、名古屋大空襲の被害を受け、本堂をはじめ、ほとんどの施設が焼失した。現在の本堂は、戦後再建されたものである。

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