15世紀の大航海時代に建設された教会や宮殿「ポルトの歴史地区」

徳川家の家紋「葵紋」が見つかったことで、日本でもニュースになったボルサ宮。ニュースによると、葵紋は、1865年のポルト国際博覧会に出席した徳川家使節団を歓迎する意図で描かれたのではないかとのこと。葵紋が発見された「紋章の間」の天井は、ポルトとの深い関わりのあった19の国(当時)とポルトガルの紋章で飾られ、ポルトガル語では「Patio das Nacoes(国々のパティオ)」と呼ばれています。パティオの名にふさわしく、広々とした吹き抜け構造になっており、天井だけでなく、床の大理石やアーチの美しさも見事。

ボルサ宮は他にも、・壁一杯にポルト市民の商いの場面が描かれた「裁判の間」・エンリック・メディーナ作の12枚の絵画が華やかな「陪審員の間」・当時の通信手段であるテレグラフ機器が残る「電報の間」・マリア・ピア橋などでポルトに貢献したエッフェルが使ったとされる「ギュスターヴ・エッフェルの間」・ローマ時代の市民をテーマにした絵画や暖炉が美しい「所長の間」・現在でも月に一度ポルト商工会議所の定例会議が開催される「黄金の間」・年に一度の総会が行われる「議会の間」・サン・フランシスコ修道院跡地をポルト商業組合に贈呈した王妃ドナ・マリア2世へ謝意を表するため、ブラガンサ王朝の王たちの肖像を飾った「肖像の間」・アルハンブラ宮殿にインスピレーションを受け、18年の月日をかけて1880年に完成した「アラブの間」があります。特に「肖像の間」の木彫作家ゼフェリノ・ジョゼ・ピントによるテーブルは、1867年のパリ万博で入賞した当時の最高傑作。さらに、現在でもコンサートや国際会議などが開かれる「アラブの間」は、その木彫の美しさと金箔の豪華さでボルサ宮随一の見どころとなっています。