上海街歩き「前灘太古里(QianTan TaiGuLi)」

成都や北京にも同じ太古里があるが、その3か所目がここ上海に開業た。

前灘太古里の特徴は、一つの大きな建物ではなく、このエリアに複数の建物が並んで街中を歩くようになっている。

日本で言うなら、ららぽーとやイオンモールのような一つの大きな建物ではなく、御殿場プレミアム・アウトレットのような風情。

中国で流行っているショッピングモールは、エリア内で迷い込むように歩くようになっているのが特徴だ。

ナウル共和国

スペイン語で「鳩」を意味し、ハバナを去る自分を鳩に托す歌詞を持つ。

イラディエルはキューバに滞在したときに当地のハバネラについて知り、このリズムを使って書かれたのが『ラ・パロマ』である。

正確な作曲年は不明だが、マドリードの著作権管理局に1859年のイラディエル作曲「ラ・パロマ(ピアノ伴奏つきアメリカ歌曲)」(La Paloma (Canción Americana con acompañamiento de Piano))として登録されているのが文献上の初出である。

メキシコでは第二帝政時代の1866年にソプラノ歌手のコンチータ・メンデスがこの曲を歌って非常に有名になり、今もメキシコ音楽と思っている人が多い。

スペイン語圏に限らず、世界各地の言語で歌われている。1961年の映画『ブルー・ハワイ』でエルヴィス・プレスリーの歌う「ノー・モア」も本曲の編曲に英語の歌詞を加えたものである。

ドイツでは1944年の映画『グローセ・フライハイト7番地』で主人公を演じたハンス・アルバースの歌う「ラ・パロマ」がヒットし、1958年にビリー・ヴォーンのオーケストラ版、1961年にフレディ・クイン(英語版)の歌った「ラ・パロマ」がミリオンセラーになった。

チェコでは「Hřbitove」(墓場にて)という全然異なる歌詞がつけられ、曲調もかなり変化している。

シチリア島 カターニア(Catania)

シチリアーナ(siciliana)
ルネサンス音楽末期から初期バロック音楽に遡る舞曲

ゆるやかな8分の6拍子か8分の12拍子で作曲され、ためらいがちにたゆとう曲想と付点リズムが特徴的で、通常は短調(もしくは自然短音階)をとる。器楽曲の楽章として利用されただけでなく、オペラ・アリアにも応用されている。シチリアーナは、おそらく「シチリア舞曲 danza siciliana」ないしは「シチリア風に A la Siciliana」に由来する女性名詞であるが、男性名詞であるシチリアーノ(siciliano)や、フランス語の女性名詞・シシリエンヌ(Sicilienne)も用語法として定着している。

古い時代のシチリアーナとして有名なものとして、20世紀にレスピーギによって《リュートのための古風な舞曲とアリア》第3組曲の第3曲として弦楽合奏用に編曲された、16世紀イタリアの作者不詳のリュート曲が挙げられる。この原曲は1999年に、カゴメのパスタソースのTVCMに利用され、曲名と演奏者についてメーカーに問い合わせが殺到し、急遽リリースされたマキシシングルCDがヒットチャートに躍り出るという事態を招いた。

バロック時代の有名なシチリアーナには、ヘンデルの《リコーダー・ソナタ ヘ長調》HWV369の第3楽章(ニ短調)や、伝バッハ(偽作)の《フルート・ソナタ 変ホ長調》BWV1031の中間楽章(ト短調)が挙げられる。またバッハはカンタータなどの中に多くの真作シチリアーナを作っている。

シチリアーナのリズムは古典派音楽においても愛用され、モーツァルトの《ピアノソナタ第11番》、《ピアノ協奏曲第23番》や、ハイドンのオラトリオ《天地創造》のソプラノ独唱のアリアにも利用されている。チマローザの《オーボエ協奏曲》にもシチリアーナの楽章が含まれている。

19世紀の間、シチリアーナによる有名な曲はほとんど産まれなかったが、世紀の変わり目にフォーレによって、チェロとピアノのための《シシリエンヌ ト短調》が作曲された。これは後にフォーレの高弟・ケックランによりオーケストラ用に編曲され、劇付随音楽《ペレアスとメリザンド》とその組曲版に挿入され、いっそう広く知られるようになった。

ホイアン (ベトナム)

朱印船貿易が盛んだった17世紀頃には日本人町があり、300人以上(1,000人以上とも)の日本人が住んでいたと言われているが、1633年の第一次鎖国令(5年以上海外に住んだ日本人の帰国禁止)、1635年の第三次鎖国令(東南アジアからの帰国禁止)により、徐々に日本人は帰国した。

その後ホイアンでは大火があり、現在の街並みはすべて19世紀以降のものになっているため、日本人街の遺構は残っていない。日本人が造ったとされる来遠橋(通称「日本橋」)も、建築様式が日本のものと異なることから、後年架け直されたものと思われるが、1993年(平成5年)から継続的に行なわれている昭和女子大学らの発掘調査により、橋のすぐ横から木杭や板材が見つかり、それが本来の日本橋の遺構ではないかと見られている。

発掘調査では、他にも古伊万里焼の破片や日本独特の仏具である仏飯器なども出土した。ホイアン郊外には1647年に没した谷弥次郎兵衛の名が刻まれた日本人墓地(昭和5年(1930年)に日本人によって修復されたもの)もある。

また、ホイアン郷土料理の汁なし麺であるカオラウ(Cao lầu)は、日本の伊勢うどんが変化したものではないかとする説もあるが、スープでなくタレをからめて食べる点の類似や、カオラウの漢字「高樓」が2階建て家屋があったとされる日本人街の通称「高樓」に由来するのではないかという推測からであり、証拠はない。

近年においては、1990年以降の昭和女子大学や文化庁、JICAの専門家が携わる伝統的建造物の保存修理・技術協力や、建築史・歴史・生活調査・研究があげられる。これらには、ベトナム人研究グループや修理支援グループが参加、地域の技術能力向上にも貢献している。2003年以降は、地元在住の日本人が政府機関や地域コミュニティー関係者と開催する「ホイアン日本祭り」も行われている。

2009年には、昭和女子大学が修復・展示に協力(文化庁が指導)した貿易陶磁博物館を、皇太子徳仁(当時)が訪問。2017年には、ダナン市で開催されたAPEC首脳会議に出席した当時の安倍晋三、グエン・スアン・フック両首相が、旧市街の伝統的建築を見学。御朱印船の寄贈式や「長崎くんち」の公演を視聴した。

2018年には、日本政府の無償資金協力のもと、「日本橋」周辺水路の水質改善のための下水処理場が完成。また、日越外交関係樹立45周年記念事業として、日本フィルハーモニー交響楽団の四重奏が、日本橋前広場で公演。市内のエコ・カフェでは、地域の子どもを対象としたワークショップと演奏を行った。