壱町田湿地植物群落は、武豊町の北西部、海抜30~40メートルのなだらかな丘陵地帯にある。
周辺は昭和30年代前半の沿岸埋め立て用土取り場として採土され、その地形は急変した。
昭和57年から武豊北部地区89ヘクタールが農地基盤整備事業として農地開発されるにあたり、湿地を含む11,000平方メートルを保護地に指定し、周囲をフェンスで囲い、貴重な湿地植物群落を保護している。
昭和59年に愛知県指定天然記念物となり、平成11年には愛知県自然環境保全地域に指定された。
Aurora
オーロラは、天体の極域近辺に見られる大気の発光現象である。極光(英: polar lights)または観測される極域により、北極寄りなら北極光(英: northern lights)、南極寄りなら南極光(英: southern lights)ともいう。
女神の名に由来するオーロラは古代から古文書や伝承に残されており、日本でも観測されている。近代に入ってからは両極の探検家がその存在を広く知らしめた。
オーロラの研究は電磁気学の発展とともに進歩した。発生原理は、太陽風のプラズマが地球の磁力線に沿って高速で降下して地球の大気に含まれる酸素や窒素の原子を励起することによって発光すると考えられているが、その詳細にはいまだ不明な点が多い。
光(可視光)以外にも各種電磁波や電流と磁場、熱などが放出される。音(可聴音)を発しているかどうかには議論がある。
北極点や南極点の近傍ではむしろ見られず、オーロラ帯という楕円上の地域で見られやすい。南極と北極で形や光が似通う性質があり、これを共役性という。
地球以外の惑星でも地磁気と大気があれば出現する。人が地球上から目視できるオーロラの色には、 主に青や緑、赤が挙げられる。
さらに状況さえ再現すれば、人工的にオーロラを出すこともできる。
萬松寺
萬松寺は、愛知県名古屋市中区大須にある単立の寺院。
織田信秀の葬儀の際に嫡男の織田信長が位牌に抹香を投げつけた事件は、大須に移る前の萬松寺が舞台である。
徳川家康は6歳で証人(人質)として今川義元の元に送られる途中で信秀に引き渡され、この寺で9歳まで過ごしたと伝わる。
山号は亀嶽林。本尊は十一面観世音菩薩。織田信長や徳川家康をはじめとする戦国武将との縁が深く、名古屋の歴史的観光名所にもなっている。
天文9年(1540年)、織田信秀により織田氏の菩提寺として那古野城の南側に建立された。開山には信秀の叔父にあたる雲興寺第8世・大雲永瑞和尚が迎えられた。当時は現在の中区錦と丸の内2丁目・3丁目にまたがる広大な寺領を持っていたが、慶長15年(1610年)、名古屋城を築く際に小林邑(現在の大須3丁目)に移建した。
移転後も尾張徳川家朱印寺として篤く信仰され、慶安4年(1651年)には徳川義直室高原院(亜相源敬公大夫人)の御霊屋(霊廟)を建立している。
1904年(明治37年)、シャム国から日本に分骨された仏舎利が覚王山日泰寺に運ばれた際には、萬松寺から行列が出発している。
1912年(大正元年)に第37世大円覚典和尚が寺領の山林の大部分を開放することを決断する。こうして開拓された町は現在の大須3丁目となり、萬松寺は再び賑わいを取り戻すこととなった。
1914年(大正3年)、高原院御霊屋は尾張徳川家の菩提寺である建中寺へ移築される。この御霊屋は1954年(昭和29年)に名古屋東照宮に移築されてその本殿となっている。
しかし、1945年(昭和20年)3月12日の名古屋大空襲で当寺は全焼し、大須も焦土と化した。
戦後、不動堂と稲荷堂は再建できたが、長らく本堂は再建されることはなかった。しかし、1994年(平成6年)4月、ついに本堂が地下1階、地上5階建ての鉄骨鉄筋コンクリート造の建築物として再建された。
大須一帯の大地主でもあり、万松寺ビルなどを保有している。2016年(平成28年)曹洞宗との被包括関係を廃止して単立寺院となった。
2017年(平成29年)には、2015年(平成27年)から行われていた不動堂および稲荷堂の建て替え工事が完了し、新諸堂「白龍館」としてオープンした。
朝倉遺跡
館跡庭園
第5代当主朝倉義景が住んだ館の跡で、6,500㎡程の敷地があり三方は土塁と濠で囲まれている。常御殿、主殿、会所、茶室、日本最古の花壇のほか、台所、厩、蔵などが整然と配置されていた。東側の山際にある館跡庭園は力強い滝の石組、護岸石組を持ち、その洗練された石組に京都との文化の交流が感じられる。
諏訪館跡庭園
諏訪館は朝倉義景の妻「小少将」の館で、その庭園は遺跡の中でも最も規模が大きい。中心の4m余りの巨石は、滝の石組の一部となっており、全体に水平感と垂直感を基本にして安定感のある構成になっている。この石には江戸時代末に彫り込まれた3代貞景、4代孝景等の法名が残されている。
湯殿跡庭園
義景館跡を見下ろす高台にあり、先ず荒々しい石組に驚かされる。どの石も強い表情を持ち迫力がある。鶴や亀を思わせる島があり、水路が山際に沿って南から北に走り滝口に注ぐ池泉庭園になっている。他の庭園とは様式も感覚も異なり、一乗谷で最も古い庭園とされている。
南陽寺跡庭園
南陽寺は、3代貞景が娘のために再興した尼寺で、館の東北の景勝地にあり、庭には石組と池泉跡が残っている。三段の滝が組まれ、力強い石組になっていまる。ここは後に将軍になる足利義昭を招いて桜を見る宴会を催したところで、庭前には美しい糸桜があったと伝えられている。
下園公園
下茶屋公園
下茶屋公園は旧東本願寺別院・新御殿の後庭があった場所で、今でも綺麗に整備されている。江戸後期の庭園様式として大変貴重と言われる。
雪見灯篭などの歴史物がありながら、自然もたくさんあるので訪れるだけで日常を忘れられそうです。季節ごとに桜や紫陽花、紅葉など様々な景色が楽しめる。
史跡小牧山
小牧山(こまきやま)は、愛知県小牧市にある標高86mの山
かつて織田信長の居城であった小牧山城があった
現在は山全体が公園となっており、桜の名所としても知られる
公園の分類は「史跡公園」、現在、山頂にある天守閣風建物は
1967年(昭和42年)に建てられた小牧市歴史館(小牧城)で、平野の真中にある為、山の頂上にある小牧城からは周囲を見渡す事ができる。
山の大きさは、東西約600メートル、南北約400メートル、山全体の総面積は、約21ヘクタール。
かつてこの山の頂上には、織田信長の命令により、山城が建てられていた。この城は、後に徳川家康が小牧・長久手の戦いで使用した事で有名である。
青森駅周辺と津軽海峡 竜飛岬
青森県観光物産館アスパム
「AOMORI」の「A」を形どった正三角形の建物が特徴的。海沿いにあり、夜はライトアップが綺麗。
1階には青森の美味しそうなおみやげ。地酒からスイーツまで、地元の名産品・特産品がずらり。季節によっては新鮮なリンゴも。
2階は体験ゾーン。臨場感あふれる360度パノラマの3Dデジタル映像でねぶた祭を見られるシアターや、北国の女性の繊細さと力強さを伝える伝統工芸品「津軽こぎん刺し」の製作実演コーナーが。
13階には展望台があり、地上51mから360度、青森市街や港・八甲田の山々などを眺め渡すことができる。天気の良ければ北海道を望める。
◆アスパムの名前の由来
Aomori(青森)
Sightseeing(観光)
Products(物産)
Mansion(館)
