三河湾国定公園 日間賀島


日間賀島(ひまかじま)
三河湾に浮かぶ離島。行政上は愛知県知多郡南知多町に属し、全域が三河湾国定公園に含まれる。2015年(平成27年)の国勢調査における人口は607世帯1,896人だった。「タコとフグの島」という観光PRを行なっている。篠島や佐久島と合わせて「三河湾三島」または「愛知三島」などと呼ばれる。

海岸線長
6.6km
最高標高
30.2m

知多半島・渥美半島まで10km以内と距離的に近く、また本土との生活交流が活発なため、国土交通省による離島分類では内海本土近接型離島にあたる。

日間賀島の周囲には西港の正面にある鼠島や角石(角石島)などの属島があり、下瀬(下瀬島)は干潮時のみ現れる。角石と下瀬は師崎からの航路付近にあるため、島上に灯台が設置されている。日間賀島の北東部にも無数の浅瀬があり、佐久島との中間付近佐久島との中間付近にある大磯にはやはり灯台が設置されている。

南岸は150m沖合で水深10m、東岸は350m沖合で水深10mなのに対して北岸は浅く、1,000m沖合で水深20mである。篠島との中間付近には面積0.03km2の築見島があるが、築見島は一般に篠島の属島とされている。

東岸の里中と西岸の西浜の二つの集落があり、里中は中と小戸地に、西浜は新居と寺下と浪太に分かれている。日間賀島は全体がなだらかな丘陵地を形成しており、島のほぼ中央に30.2mの最高標高地点がある。

面積は0.77km2であり、皇居の約半分である。日間賀島の森林面積は4%に過ぎず、面積の31%が森林の佐久島、面積の24%が森林の篠島と比べて森林に乏しい。篠島とは違って比較的広い耕地があり、1960年代から1970年代(昭和40年代後半から昭和50年代前半)にかけてオリーブ、フキ、ウメなどの栽培がなされたが、これらは定着していない。現在は三河湾三島に農業経営体は存在しない。

人口

江戸時代に描かれた『日間賀古図』には、西里に120戸余り、東里に150戸余りが描かれた。江戸時代後期にまとめられた『尾州徇行記』による人口は938人だったが、1891年(明治24年)には1,311人、1930年(昭和5年)には1,951人と、1世紀余りの間に人口が2倍以上に増加した[1]。その後も人口は増え続け、1955年(昭和30年)の国勢調査では過去最高値の2,788人を記録した。

しかしそこから減少に転じ、1960年(昭和35年)の調査では2,728人、1970年(昭和45年)の調査では2,622人、1980年(昭和55年)の調査では2,576人、1990年(平成2年)の調査では2,397人、2000年(平成12年)の調査では2,221人、2010年(平成22年)の調査では2,051人と、年々減少幅を拡大させている。世帯数は1975年(昭和50年)の調査で初めて600世帯を突破し、1990年調査の658世帯をピークとしながらも、2010年(平成22年)の調査でも630世帯を維持している[1]。2010年調査での高齢者人口比率は29.4%である。

2000年(平成12年)の国勢調査による人口密度は2,882人/km2であり、2位の池島(長崎県、2,641人/km2)、3位の篠島(2,192人/km2)などを上回って日本の離島中最高だった。明治・大正・昭和にかけて篠島より人口が少なかったが、戦後には篠島の人口減少が著しく、1990年の国勢調査では日間賀島2,397人、篠島2,352人となり、2世紀以上ぶりに篠島の人口を上回った。

古代から近世

東港近くの日間賀神社境内には7世紀から8世紀にかけての古墳が14基あり、北地古墳群と呼ばれている。日間賀島全体では35基の古墳があり、石錘・釣針・直刀・須恵器などが出土している。古くから渥美半島の福江(現田原市)との交流が活発で婚姻などが行われ、言語にも三河地方の文化の影響がみられる。

奈良時代の文献には三河国幡豆郡比莫島という文字がみえ、平城京にサメやクロダイが調進されていた。

江戸時代は尾張国知多郡に属する尾張藩領であり、篠島とともに千賀氏が支配した。『寛文郷帳』『天保郷帳』における村高は50石であり、『旧高旧領』『寛文覚書』では93石余だった。江戸時代もやはり漁業が中心であり、コノワタを名産とした。元禄4年(1691年)の『知多郡船勢』では日間賀島を121艘(2512石)としており、知多郡内で最も船数の多い地域だった。

近代から現代

1876年(明治9年)には本土の師崎村や篠島村と合併して鴻崎村となったが、1881年(明治14年)に再び三村に分離して単独で日間賀島村となった。明治中期以後には漁業に加えて養蚕業が盛んとなった。1889年(明治22年)に町村制が施行されると、知多郡日間賀島村として村制を敷いた。

江戸時代までの漁業は三河湾内に限られていたが、明治時代以降には外海に飛び出して延縄漁を行なうようになり、大正初期以降には漁船の動力船化が進んだ。1951年(昭和26年)時点でも漁船の1/3は無動力船だったが、1965年(昭和40年)には無動力船の割合は5%程度まで減少した。

1957年(昭和32年)には離島振興法の第7次指定地域となり、篠島・佐久島とともに「愛知三島」という指定地域名が付けられた。1961年(昭和36年)6月1日、内海町・豊浜町・師崎町・篠島村・日間賀島村の本土3町と離島2村が合併して南知多町となった。1958年(昭和33年)4月には三河湾国定公園に指定され、1991年(平成3年)には三河湾地域リゾート整備構想の重点整備地区に指定されている。

平成の大合併の際には南知多町・美浜町の任意合併協議会が設置されたが、南セントレア市という新市名候補に両町の住民が拒否反応を示して合併自体が不成立となった。2011年(平成23年)9月から12月にかけて、「あいちの離島80日間チャレンジ」という離島観光振興キャンペーンが行なわれた。日間賀島には27歳の女性アマチュア歌手が80日間滞在し、日間賀島のテーマソングを制作するなどの活動を行なった。2012年(平成24年)10月には佐久島に滞在したイラストレーターによって各島のゆるキャラがデザインされ、特産のタコをモチーフにした「たこみちゃん」がお披露目された。

名古屋大須商店街 文珠小路

2本の小道で昭和へタイムスリップ。
気をつけないと見過ごしてしまうなほどひっそり存在する「文珠小路(もんじゅこうじ)」。
わずか約50mのレトロな2本の小路には、秘密にしたい隠れ家的なおいしいグルメが待ってる。
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大須商店街の2本の小路「文珠小路」には素敵なお店が満載

アンティークな雰囲気で、おいしいワインとビールを【WINE CAFE LUCE】
店主とのトークも楽しい、そばとお酒を堪能する【お蕎麦とお酒 DEN】
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半地下と中2階に席を設けて、当時の造りを生かしたレトロなイメージがあふれる店内には、ヴィンテージのスピーカーからは軽快なジャズが流れ、昼夜問わずムード満点。
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長良川、揖斐川の河口界隈周遊

長良川河口堰

三重県の長良川の河口部に治水と利水を目的に作られた堰(河口堰)。

長良川に初めて造られた堰であり、この河口堰ができるまでは、長良川は本州で唯一の本流に堰のない大きな川だった。

元は工業用水を溜めるために計画されたが、計画が30年以上紆余曲折するうちに重工業がさして水を必要としなくなったため、洪水防止に名目を変更して建設が進められた。

その建設に当たり、利水や治水の観点から建設を望む声がある一方[要出典]、長良川の生態系や漁業などへの悪影響などが懸念され、漁協や自然保護団体、日本全国のカヌーイストらなどによって激しい反対運動が起き、建設の是非をめぐる論争が発生した。

本来の目的を失ったにも関わらず計画を中止しない建設省の強硬な態度は、建設省と土建屋の癒着があったからという意見もある。

この論争は、単なる「開発」か「環境」かという論点をこえて、誰がこの問題の「当事者」たりうるのかという、税金を使う公共事業のあり方、河川管理や産業振興、環境保護のあり方についての論点を提起することにもなった。

目的:治水(塩水の遡上を防止することにより、長良川の浚渫を可能にし洪水を安全に流下させる)、水道用水、工業用水

形式:可動堰
堤頂長:661m
堰高:8.2m
建設費:約1,500億円
事業者:水資源機構ダム事業部
本体施工業者:大成建設・鹿島建設・五洋建設共同企業体
着工 / 竣工:1968年(昭和43年) / 1994年(平成6年)
所在地:三重県桑名市長島町

桑名七里の渡し公園

木曽三川にまつわる史跡と桑名を代表する建築とをつなぐ場所に整備された、川と街に一体となった歴史公園で、地域の歴史にちなんだ意匠を随所に取り込んでいます。 周辺史跡を巡る道中や日々の散歩時に、流れるせせらぎに耳を傾け、芝生広場でゆっくりとくつろげます。

近隣には、鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドル設計による洋館と池泉回遊式庭園を持つ、国の重要文化財の「六華苑」、春と秋に一般公開される美しい庭園「諸戸氏庭園」、

東海道五十三次で知られる桑名宿の渡船場「七里の渡し跡」等があります。 今後、揖斐川右岸地区と七里の渡し地区の整備を予定しており、現在は住吉地区が開園しています。

なばなの里

三重県桑名市長島町駒江にある植物園である。長島観光開発株式会社の運営するナガシマリゾートの一施設である。
里内には8店舗のレストランがあり(長島地ビール園、ベーカリーレストラン「マルセイユ」、イタリアンレストラン「麦」、とんかつ「かつ○」、中国料理「桃仙」、日本料理「翡翠」、「カフェ・ラ・テラス」、麺料理「芭蕉庵」)、他にもベーカリーショップ10・2・5(テンツーファイブ)や、売店の「村の市」では特産品や地ビール、お土産などを購入できる。また長島温泉を利用した日帰り温泉施設「里の湯」がある。さらには東海地方最大級の「花市場」が隣接してあり、東海地元の野菜や季節のお花が買うことができる。

園の名前は当地の特産品である「なばな」に由来する。

ベネズエラ エンジェルフォール

テーブル状の山が連なるギアナ高地
落差979mの、世界最長の滝エンジェル・フォール。テプイと呼ばれるテーブル状の山の断崖から、白い筋となって流れ落ちる姿は、息を飲む美しさと迫力だ。
密林の中からそそり立つ100以上ものテプイが、雲の上にもうひとつの大地を作り出しているようなギアナ高地。
ベネズエラ・ボリーバル共和国(以下、ベネズエラ)の内陸部に位置し、日本全土がまるごと入っても余りある広さがある。ギアナ高地そのものは、さらに隣国のガイアナやブラジルへと続いている。

なぜこのような地形ができたのかというと、ギアナ高地はかつての地球の地軸に位置し、大陸が分裂していくなかでそこだけが同じ場所に留まったからだそう。
20億年前のことである。風や雨にさらされるうちに、固い岩盤だけが残り、それがテーブル状の山になったのだ。
また、分裂した大陸はその後、氷河期や洪水など気候変化の影響を受けたが、ギアナ高地だけは気温の変化があまりなかっため、テプイの上には原始の姿を残しつつ、独自に進化を遂げた植物が生育する。

エンジェルフォール(Angel Falls)

南アメリカ大陸北部のギアナ高地にある世界最大級の滝。
行政上は、ベネズエラのボリバル州グランサバナのカナイマ国立公園内に所在する。
世界最大の落差 979メートル / 3212フィート(岩にぶつかることなく直下する距離は 807メートル / 2648フィート)をもつ滝として著名。

滝のスペイン語名・英語名等は、その存在を世界に向けて大々的に紹介した最初の人物である、アメリカ人探検飛行家ジミー・エンジェルの名にちなむ。
すなわち滝の名が「天使の滝」の意を持つわけではなく、その含意は「エンジェル氏の滝」である。