南アフリカ共和国、ジョージからモッセル・ベイまでのガーデンルートを走る「ウテニカ・チューチュー鉄道」

モッセル‐ベイ (Mossel Bay)は、1488年、ポルトガルの航海者バルトロメウ=ディアスがヨーロッパ人として初めてアフリカ南端に上陸した地で南アフリカ共和国南部、西ケープ州の港町。インド洋に面し海岸保養地として人気があり、クジラが回遊するところでもある。

「ウテニカ・チューチュー鉄道」は、英国から輸入された観光用の蒸気機関車で、かつてはジョージから東方のナイズナ方面に走っていたが、気象変動の影響で数年前に豪雨で鉄道が閉ざされてしまった。そのため、ジョージ~モッセル・ベイ間が運行されるようになったが、これも運行停止されるようだ。

海岸沿いのガーデンルートには、森、湖、崖、砂浜など自然の美しい風景が楽しめ、きれいな町がいくつもあり、南アフリカの日常的な町の雰囲気が眺められる。ジョージ駅近くのウテニカ交通博物館には沢山のSLや客車が展示されている。

いそしぎ (The Shadow of Your Smile、別名:Love Theme from The Sandpiper)・・・南アフリカ共和国、ジョージからモッセル・ベイまでのガーデンルートの景観

イタリア、ピエモンテ州、アルバ

赤ワインの生産地、バローロ、バルバレスコを含むピエモンテ州南部のランゲ・ロエロ・モンフェッラート地域の美しい葡萄畑の景観が、『ピエモンテの葡萄畑の景観:ランゲ・ロエロ・モンフェッラート』として世界遺産に登録された。

葡萄栽培の美しい自然の景観、イタリアの国家統一運動の立て役者であるカミッロ・カヴールが若かりし頃に住んでいた城、カヴール城が含まれる。カヴール城の城内は民族博物館とされ、暖炉、木の農具、調理道具など展示され、塔の上からはアルバのパノラマが広がる。

この世界遺産に含まれる地域は
La Langa del Barolo バローロ村のあるランガ地区
Il Castello di Grinzane Cavour グリンザーネ・カヴール城
Le Colline del Barbaresco バルバレスコ村の丘陵地
Nizza Monferrrato e il Barbera ニッツァ・モンフェッラートとバルベーラ
Canelli e l’Asti Spumante カネッリ村と アスティ・スプマンテ
Il Monferrato degli Infernot インフェルノットのモンフェッラート

中世の面影が残るアルバはトリノから南南東約60キロの位置にある小さな街でピエモンテ州を代表するワインの生産地である。美味しいワインと白トリュフで知られ、周囲にブドウを生産する美しい丘陵地帯が広がる。毎年10月に開催される「アルバの白トリュフ市 Fiera Nazionale del Tartufo Bianco d’Alba」は有名。

手入れされた街並みは美しく、路地裏をのぞくのも楽しい。レンガ造りの建物は歴史あるヨーロッパを感じさせてくれる。歴史は古代ローマ時代まで遡り、中世からルネッサンスにかけて建造された建物が軒を連ねる。「サン・ジョバンニ教会」には、1377年にボルナーバ・ダ・モーデナが描いた「慈悲聖母」がある。14世紀建造のゴシック様式の「サン・ドメニコ教会」は厳格な雰囲気を醸し出している。

メインストリートの「ヴォットリオ・エマヌエレ通り」沿いには帯状装飾が美しい15世紀の宮殿などがたたずむ、それとアルバ周辺の地元素材にこだわった料理や食材で人気のカフェ・リストランテ「Vincafe’」があり、バローロ、バルバレスコなどの高級ワインも用意されている。

JULIUS MEINL AM GRABEN (ユリウス・マインル・アム・グラーベン)

JULIUS MEINL AM GRABEN(ユリウス・マインル・アム・グラーベン)
住所:Graben 19, 1010 Wien
電話:+43 (0)1 532 33 34
営業時間:【月~金】8:00~19:30、【土】9:00~18:00
定休日:日曜・祝日
アクセス:Stephansplatz(U1・U3)から徒歩5分

1862年創業でオーストリア国内はもちろん、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどのヨーロッパ各国を始めとして、世界中から厳選した食材を豊富に取り揃えている老舗高級デリカテッセン。

最盛時にはヨーロッパ全土に1000店舗以上を有した巨大スーパーチェーンだったが、第二次大戦や財政危機を経て現在はウィーンにあるこのグラーベン店のみとなる。

店舗内にあるレストランはオーストリア版ゴー・ミヨ(ミシュラン同様、強い影響力を持つレストランガイドで、1~5つのコック帽で評価)で2012年、2コック帽を獲得するなど品質も人気も衰えていない。

焙煎コーヒー店としてスタートしたユリウス・マインルの珈琲は格別で、珈琲は絶対に欠かせない、というカフェイン・ジャンキーにはお勧めの店。
マインルのロゴに使われている赤いトルコ帽を被った黒人の男の子はMeinl Mohr(マインルのムーア人)と呼ばれ店内の階段の手摺りに腰掛けている。

ミャンマー、チャイティーヨー(Kyaiktiyo Paya)、ゴールデンロック

ミャンマー、チャイティーヨーの山、その山頂にある岩の上に岩が危うく乗っている、落ちそうで落ちない不思議な岩、3度参拝するとお金持ちになれる、という言い伝えもある。
このゴールデンロックはミャンマーの仏教徒の人々なら一生に一度行っておきたい場所のようだ。

ヤンゴンから180km、バスで約6時間ほど、途中、古都「バゴー」を通過し、バゴーからは高速道路を行くのであるが、この高速道路は自転車も走る。
ゴールデンロックの町、チャイトーに到着したら山の麓の町、キンプンまでさらに進む。
チャイティーヨー付近はリゾートという観光場所ではないので、高級ホテルやリゾートホテルはなく、寝泊りだけする安宿、中級ホテルを探すことになる。

ゴールデンロックの岩の上にある塔の中にはブッタの髪の毛が有り、その力でバランスが保たれていると伝えられ、微妙なバランス状態にある不思議な岩。
夕方は昼よりもずっと涼しくなり、水汲みに行く女性が道にはたくさんいる。
ミャンマーではヤンゴン以外はインフラ整備はまだまだのようである。
そんな日常の中、太陽は沈んでゆく。

トワイライトタイム・・・ミャンマー、チャイティーヨー(Kyaiktiyo Paya)

マッジョーレ湖畔、絶壁の上の修道院 ・「エレモ・ディ・サンタ・カテリーナ・デル・サッソ」Santa Caterina del Sasso

エレモ(Eremo)は切り立った崖や岩の上など、人里離れた場所に築かれた隠遁修道士の「隠れ家」がもとになってできた修道院や教会堂で、イタリア各地に「エレモ」はあり、巡礼者が訪れる信仰の場である。

「エレモ・ディ・サンタ・カテリーナ・デル・サッソ」はイタリア北部のマッジョーレ湖に面し、景観は美しく神秘的な雰囲気がある。

このエルモが現在の形に近い構造となったのは14世紀、その後、修復が重ねられ4つの礼拝堂、小さな祈祷用礼拝堂、高い塔により構成されるが、建立年度や様式は異なる。

柱列として拡がるポーチ、ポルティコもあり内部は変化に富んでいる。

14世紀から17世紀にかけて制作されたというアウレリオ・ルイーニの聖カテリナを描いた16世紀のフレスコ画などあり、光の加減で色や雰囲気が変わるマッジョーレ湖、対岸のストレーザやボッロメオ諸島の景観は飽きることがない。

Serenata Tosti・・・マッジョーレ湖畔、絶壁の上の修道院 ・「エレモ・ディ・サンタ・カテリーナ・デル・サッソ」

ヴェネツィアの潟にある島、ブラーノ (Burano)

ブラーノ (Burano) は、イタリア北東部ヴェネツィアの潟にある島でヴェネツィアの一部である。

トルチェッロやトレポルティを結ぶ汽船の通常路線により、途中、「姉妹」島のムラーノを経由しヴェネツィア本島と結ばれる。
4つの小島で構成される群島で、それぞれの島は橋で行き来できる。

漁にでた漁師が霧のなかでも自分の家を容易に判別できるように、家々は色とりどりに彩色されたという。
漁に使う網の製作や補修技術から発展したレース編みメルレットは、海外にまで知られる工芸品として発展した。

Johnny Guitar・・・ヴェネツイアのブラーノ島

「もの派」アーティスト李禹煥、ベルサイユ宮殿で個展

モノ派とは、1960年代後半から70年代にかけて展開された戦後の日本美術における動向につけられた名称で、土や石、木、鉄など「素材」として扱われがちであった未加工のそれらに、ほとんど手を加えず直接的に提示することにより、ことさらその物質性を前面に押し出すという作風である。

李禹煥は、韓国生まれで現在は日本とフランスに住み、欧米を中心に活動している。もの派の代表的な作家である。

2014年ベルサイユ宮殿のゲストアーティストに決定し、展覧会は、2014年6月から11月の開催となる。

800ヘクタールの広大な敷地には、ヴェルサイユ宮殿、トリアノンとマリー・アントワネット王妃の領地があり、木立ち数十体の傑作の彫像もあり屋根のない美術館でもある。常に新たな視点で異なる姿を見せてくれる。
李禹煥氏の彫刻は、豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿とその庭で、どのように調和するのか注目が高まる。

Premire mouvement de concerto no.1・・・李禹煥、ベルサイユ宮殿で個展

ヴェネツィア、ため息橋(溜息の橋, Ponte dei Sospiri )

16世紀に架けられたヴェネツィアの橋の1つ。

白の大理石で造られ、橋の下の水路はゴンドラでヴェネツィアを観光する時の定番のコースである。

この橋は覆いがあり格子の付いた窓が付けられ、Rio di Palazzoを渡りドゥカーレ宮殿の尋問室と古い牢獄を結ぶ。

ため息橋という名前は、独房に入れられる前の囚人が、窓の外からヴェネツィアの美しい景色を見られるのはこれで最後であると、ため息をつくというところから、19世紀にジョージ・バイロンが名づけたという。

ただ、実際には、厳しい取調べや略式の刑執行は、橋が建設された頃には無くなっていて宮殿の屋根の下の独房も専ら短期刑の囚人のものであった。

ヴェネツィアの観光名所ドゥカーレ宮殿のそばで海側のバリア(Ponte.Paglia)が、ため息橋を眺めるスポットとして有名で、牢獄も公開されている。
ドゥカーレ宮殿から、ため息橋を渡って外の景色を眺めることもできる。

地元の言い伝えによると、恋人同士がこの橋の下で日没時に、ゴンドラに乗ってキスをすると、永遠の愛が約束されるのだという。

Mauvais garcon・・・ヴェネツィアの橋

ポンペイ「秘儀荘」(Villa dei Misteri)

ポンペイが位置するカンパーニア地方の中心ネアポリス(ナポリ)はギリシア人が建設した植民都市として発展し、前3世紀に都市国家ローマに征服されるもカンパーニアはギリシア文化が根強く残っていた。

ポンペイ遺跡域外の西の外れ、海岸に面した場所に建つ邸宅で前2世紀ごろまでは簡素な家屋だった。

紀元62年の地震のあと農業会社の所有となり、小作人の部屋・農具置き場・ブドウを絞る部屋・家の守護神の祭壇、パンを焼くかまど、そして、ディオニュソスの秘儀の壁画の部屋(秘儀の間)がある。ポンペイの壁画のなかでは最も保存状態が良い。

紀元前一世紀半ばの作の壁画は、食堂の正面、左右の壁には当時このあたりに流行し、後にイタリア全土に広まったディオニュソス信仰にかかわる秘密の儀式の様子が高さ3M・長さ17Mの装飾帯として描かれる。

ディオニュソスはバッカスと呼ばれる酒の神である。“ディオニュソスの秘儀”は女性の信者を中心とした集団陶酔で、日ごろのストレスやもやもやを解消するため、ディオニュソスの神を讃え、酒を飲み、過激に踊り狂い、獣を八つ裂きにしたりする。

憑きから覚めるとまた、何もなかったかのように普通の女にもどる。

ローマの元老院は「ディオニュソスの秘儀」を禁止していたが、ローマの目がとどきにくい南イタリアを中心にディオニュソス信仰は定着していた。

前1世紀ごろ秘儀荘の女主人はカンパーニアの画家に居間の壁画としてディオニュソスの秘儀を描かせた。

ディオニュソス Dionysos

ギリシア神話の神であるが、ギリシア伝統の神ではなく、トラキア地方からギリシアに前1200年ころに入ってきた神で豊穣神、特にぶどう酒の神。

ギリシア神話にはディオニュソスについて次のようにある。

主神ゼウスとテーバイ王カドモスの姪セメレとの子。
ゼウスの妻ヘラは夫の浮気相手のセメレを大変に憎み、彼女をだましてゼウスの雷に打たれて死ぬように仕向けた。
このため、まだ胎児だったディオニュソスは、ゼウスの腿の中に埋め込まれ、月満ちるまで匿われた。
ゼウスは生まれたディオニュソスをニンフとシレノスに養育させるように、ヘルメスに命じた。
シレノスは牧羊神パンの息子で太鼓腹の背の低い森の神。
大変に賢くディオニュソスにぶどうの栽培を教えた。
ディオニュソスとシレノスは、地中海沿岸を旅し、人々にぶどうの栽培を教えた。
二人の後には、酔い、踊る人々がついてまわった。
彼らはディオニュソスの信者たちである。
信者の中には、サテュロスやマイナスたちがいた。
各地で民衆の支持を得たが、ギリシア本土では彼の神性を認めない人々もいるで、その人々を狂わせたり 動物に変えるなどの力を示したので、やがて神として畏怖される存在となった。
ナクソス島でアリアドネを妻とし、母を冥界から連れ戻して天上に住まわせた。
ギリシア・アテネの全盛期(前5世紀)にはディオニュソスの祭りである、演劇コンクールが盛んだった。
オリンポスの十二神には入っていない。

パッヘルベルのカノン 〜 ポンペイ「秘儀荘」(Villa dei Misteri)