リュクサンブール宮殿(Palais du Luxembourg)

フランスのパリ6区、ヴォージラール通りにある宮殿で、フランス元老院(上院)の議事堂として使用され、その周囲はリュクサンブール公園として公開されている。

設計者 サロモン・ド・ブロス、建築主 ピネー=リュクサンブール公フランソワ、マリー・ド・メディシス(改築)、着工 1615年 、竣工 1631年  フランス元老院議事堂


旧用途は ピネー=リュクサンブール公フランソワ邸、マリー・ド・メディシス邸、プロヴァンス伯ルイ邸、総裁政府官邸、サロモン・ド・ブロス設計のピネー=リュクサンブール公フランソワ(ルクセンブルク=リニー家出身)の邸宅を、イタリアからフランス王室に嫁いできたマリー・ド・メディシス(ルイ13世の母)の居城として改築した。ニコラ・プッサンとフィリップ・ド・シャンパーニュが手掛けた内装は、彼女が幼い頃過ごしたフィレンツェのメディチ家の居城ピッティ宮殿をモチーフとしている。マリーがフランスを追放された後は、彼女の孫であるモンパンシエ公爵夫人などが居住した。

フランス革命によって当時の主であったプロヴァンス伯(後のルイ18世)が亡命したために国家に摂取され、監獄として使用された。末期の総裁政府の官邸となり、権力者たちがここを活躍の場とした。その後ナポレオン・ボナパルトが権力を掌握した歴史的な舞台にもなった。第二次世界大戦中は、ドイツ占領軍の空軍司令部が置かれていた。自由の女神像の原型が設置されている。

中津川 苗木城跡

苗木城は岐阜県中津川市にあった日本の城で、別名を霞ケ城、苗木藩の藩庁が置かれた。国の史跡に指定されている。大手口道は長さ500m、高低差150mあり「四十八曲り道」といわれている。

天守台や大矢倉の石垣、馬洗岩など巨大な自然石が複数箇所で利用されているのが大きな特徴で、本丸・二の丸・三の丸などの石垣や大矢倉跡・風吹門跡・綿倉門などの門跡、堀が残っている。

「赤壁城」の別名があり、城の壁は白漆喰ではなく赤土がむき出しになっていたと伝えられる。その理由については、木曽川に住む竜が白い色を嫌い、何度漆喰を塗り直しても嵐を起こしてはぎ取ってしまったという話が残されている。実際には、苗木藩が経済的に弱体で漆喰を塗る経費が捻出できなかったと思われる(幕末期に1万石で城持ちの藩は苗木藩のみである)。