カミーユ・ピサロ Camille Pissarro (1830-1903)は、フランス 印象派絵画の最も中心的存在であった巨匠で、印象派を代表する画家として高く評価される。
豊かな色彩を用い大胆に筆触を残す描写法で温柔で闊達な表現で、八回開催された印象派展の全てに参加した唯一の画家である。
温厚な性格で知られ、他の印象派の画家たちや、後期印象派の画家らとも交友を重ね、中でもポール・セザンヌにとっては最も良い理解者のひとりであったという。
農村風景が主であるが、質実な人物像や肖像画、風俗的主題、静物画、自画像も手がけ、晩年には都市景観なども描いている。
1885年頃より点描表現の技法を取り入れるも、1890年頃には原点へと回帰している。
1830年、西インド諸島のサン・トマ島でスペイン系ユダヤ人の父とその妻の間に生まれる。
1842年から5年の間、一時的にパリの寄宿学校で教育を受ける。
1852年にサン・トマ島でデンマーク出身の画家フリッツ・メリビーと出会い絵画を学びぶ。
同年から1854年まで、同氏とベネズエラのカラカス島へ旅行する。
1855年に再度にサン・トマ島へ帰郷し、同年末には画家を志し
パリへ行く。以後、故郷へ戻ることは無かった。
1855年に開催されたパリ万国博覧会で、バルビゾン派の大画家ジャン=バティスト・カミーユ・コロー、ミレーの作品に強く感銘を受けた。
写実主義のクールベや新古典主義のアングルにも手本を得ている。
1861年にセザンヌやギヨーマン、翌年にモネ、ルノワール、シスレー、バジールらと知り合う。
その後パリやポントワーズ、ルーヴシエンヌ、ブルターニュなどで活動をおこなう。セーヌ川河畔の都市ルーアンやロンドンでも制作している。
1903年11月13日パリで死去、享年73歳