ミケランジェロに代表される盛期ルネサンス時代に、芸術は頂点を極め今や完成されたと考えられた。ミケランジェロの弟子ヴァザーリは、ミケランジェロの「手法(マニエラ maniera)」を高度の芸術的手法と考え、マニエラを知らない過去の作家より優れていると説いた。
ヴァザーリは普遍的な美の存在を前提とし、「最も美しいものを繋ぎ合わせて可能な限りの美を備えた一つの人体を作る様式」として、「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と定義づけた。1520年頃から中部イタリアでは、巨匠たちの様式の模倣が目的である芸術が出現し「マニエラ」は芸術作品の主題となる。
その結果、盛期ルネサンス様式の再解釈が行われ、盛期ルネサンス様式は極端な強調、歪曲が行われるようになった。一方で、古典主義には入れられなかった不合理な諸原理を表現する傾向も表れるようになる。
16世紀中頃からのマニエリスム期にはミケランジェロの「マニエラ」を変形させて用いた作品が特徴的 となる。20世紀になって、マニエリスムも独立した表現形態であり、抽象的な表現に見るべきものがある、と再評価されるようになる。1956年にオランダのアムステルダムで催された『ヨーロッパ・マニエリスムの勝利』である。