ポール・ドラローシュ(Paul Delaroche)

ポール・ドラローシュ(Paul Delaroche.1797年7月17日 – 1856年11月4日)、本名はイッポリト・ド・ラ・ローシュ(Hippolyte De La Roche)日本ではドラロッシュ、ドラロシュとも表記されるフランスの画家。画面は堅牢かつ平滑、きわめて精緻に仕上げられているとの印象を与える。

このような絵肌は当時一般的だった様式で、オラース・ヴェルネ、アリ・シェフェール、ルイ=レオポルド・ロベール、アングルの作品にも見られる。歴史画で知られているが、常に歴史的に正確であったわけではなく、どちらかと言えば劇的な効果を狙った作品が多い。父は美術鑑定家、兄はアントワーヌ=ジャン・グロ門下で絵画を学んだ後、自身も鑑定家となった。1816年、パリ国立美術学校に入学、はじめルイ=エティエンヌ・ヴァトレ、ついで兄の師グロのもとで絵画修行を積む。

ドラローシュは理想によって悩むことはなく、それを気取ることもなかった。しかし厳しい製作は彼と彼の中心思想との間に何の神秘も介在することを許さなかった。常に大衆に対してわかりやすく、カンヴァス上で詩人になろうとし苦しみ画家たちが全て精力を消耗することから、彼が逃げたせいであった。キリスト教信仰の創始者、彼と同時代を生きたナポレオン・ボナパルトのような人物、遠い歴史上の人物を描くことで本質的には同じ手法が彼により用いられた。『フォンテーヌブローのナポレオン』、『セント・ヘレナ島のナポレオン』、『死刑宣告の後法廷を発つマリー・アントワネット』などである。

1837年、パリ国立美術学校内の半円型講堂(Hémicycle)の壁に設置する27メートルにも及ぶ大作の依頼を受けた。全ての時代の75人の偉人を描いた作品で、白大理石のステップの中央線から一方には一つの集団が集まり、最高部の3つの王座をパルテノン神殿創設者ペイディアス、イクティノス、アペレスが占めている。彼らは3つの芸術の統合を象徴している。